校長のブログ

日々の生活を気ままにつづった日記帳。

流行と音楽の事情3

私が小さい頃から貯めたこづかいで、最初に買ったギターはト○ソンのフォークギターでした。ト○ソンというと当時は、通信販売で有名でしたが、子供の頃池袋に住んでた私は、わざわざショップに行って買いました。26500円だったと思います。試奏をする事も知らなかったので、そのまま買ってしまったのですが、それが全然鳴らないギターで、どうしょうもなかったのを覚えています。当時は今はもう無くなっているような国産メーカーが比較的安いギターを作っていました。ウエスト○ンスター、H.Sア○ダーソン、(エレキギター)ト○ソン、トー○ス、K、カン○リー、ヤ○キ・・・などなど挙げれば、きりがありません。次に私がアルバイトをして購入したのは、フェル○ンデス(これは今もありますね。)のテレキャスターモデルでした。どうしても欲しくて、高校受験が終わってすぐにアルバイトをしたのです。58000円のギターでしたが、どう考えても最近の58000円くらいのギターに比べて作りも悪くて、音も良くなく、弾きづらいギターでした。たぶん今なら15000円くらいでしょう。また友達が前出のウエスト○ンスターのレスポールモデルを買ったのですが、アンプに繋いで音を出してみると自分のテレキャスターよりショボイ音でした。そこでピックアップカバーをはずしてみると、何とシングルコイルのピックアップが出てきた(!!)のを覚えています。やはりそんな子供騙しな事をやっていたメーカーが生き残れるわけがありません。しかしどのメーカーもカタログには、カッコよく写した写真が載ってるんですよね。私も当時それに騙された一人です。(次回に続く)

2005年07月06日(水)15時31分

流行と音楽の事情2

当時アマチュアのミュージシャンのライブをする場としては、いろいろなコンテスト、市民会館のような会場、ライブハウスがありました。コンテストは楽器店が主催するものから、ポプコンやイーストウエストという大きなものまで、今よりかなりたくさん開かれていました。当時、中高生だった私もかなりのコンテストに出てみたものです。結果は惨敗でしたが、どのコンテストも必ず先輩ミュージシャンのプレイを盗んで帰って来ました。たぶん中学、高校時代だけで10回くらいはコンテストに出たと思います。次に市民会館ですが、今では考えられないような安い料金で使わせてもらいました。そのかわり、P.Aも照明もすべて自分達でやらなければコンサートができませんので、企画段階からコンサートまで最低で5~6ケ月はかかりました。またバンドのメンバーでお金を出し合ってマイクや小さなミキサーを買ったりもしました。最後のライブハウスですが、今と比べると非常に数が少なかったのを覚えています。今はチケットノルマを負担すれば誰でも出られるライブハウスが多くなっていますが、当時はテープとライブのオーディションに合格しなければライブハウスに出演できませんでした。しかし合格するとライブハウスにブッキングしてもらえて、チケットノルマなど無くお客さんの入りによってギャラをもらえるのです。私の住んでいた埼玉県にも1軒しかライブハウスが無く、(当時は東京にも5,6軒だったと思います。)当然私もそこのオーデションを受け、高2の時やっとオーデションに受かることができました。まだ高2だった私は鼻も高々プロミュージシャンとしての一歩を踏み出したのです。(次回に続く)

2005年07月05日(火)17時44分

流行と音楽の事情

レッスンをしていると、たまに「自分が音楽を始めた時はどうだったかなぁ」と思い出すことがあります。
私が初めてギターという楽器に触ったのは、13歳の時でした。その当時は、ギターと言うと半分以上はアコギの事をいいました。まだエレキギターは少年非行とか、不良のようなイメージがあったと思います。まだ不良でなかった私は、当然のようにアコースティックギターの方を始めました。当時の教則本はほとんどが、「バラが咲いた」とか「世界は二人のために」とかがコード奏法で書いてあるだけでした。(どちらも当時から10年くらい前にヒットした流行歌)あとは、平凡とか明星の付録に付いてくる歌本の譜面をたよりにコードの練習をしたものです。毎日学校から帰ってくると、当時のヒット曲を弾きまくりました。それはそれなりに楽しかったし、勉強になったのですが、若者の心を虜にするには限界がありました。そうです、エレキギターが必要に思えてくるわけですね。運が良く私がアコースティックギターを近所迷惑を省みず練習していたおかげで、隣に住んでいた方が昔使っていたエレキギター(モズライトのコピーモデル)を只でくれたのです。中学生だった私はどんなに嬉しかったことでしょうか。しかし今考えてみると、何とも弾きにくいギターでした。こうして私のギタリストとしての人生が始まったわけです。(次回につづく)

2005年07月04日(月)18時35分
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